八丁平へ


暖かくなったら一度自転車で行ってみたいと思っていた八丁平に行ってきました。
昨年秋に朽木側から往復5時間ほど登山で行ったのですが、南西側には林道があり自転車でもアプローチできそうだったので、ぜひあの高層湿原にもう一度、ということで行ってみました。
今回は車を花背峠の入り口に置いてそこからアプローチ(これがのちほど裏目に出ます)。
百井峠は相変わらず激坂。途中で一度水を飲んで休みつつ最初の峠をクリアです。
写真は百井峠のスギ林。きれいに手入れが行き届いていて美しいです。

百井の集落からさらに北に向かう道を行くと修道院への分岐があります。
ここはノルウェイの森に出てくる修道院ですが、全然ひとけがなくて今も使われているのかどうか怪しい感じでした。

百井町から7kmくらい北に行くと大見の集落が現れます。
川が荒野を枝分かれしながら好き放題流れている湿原のような場所があってなかなか楽しい光景でした。
こういう手付かずな自然の造形は美しいですね。

大見の集落からさらに北に2kmくらい行くと尾越の集落です。
僕にとっては百井に集落がある事自体が驚きなのに、さらにそこから10kmも奥に進んだところに人が住んでいる事がかなり驚きです。
春から秋の間はまだしも、冬はかなりの雪が積もってそう簡単には下界に降りられないと思うのですが、どういう経緯でこの集落ができたのか不思議でなりません。
と、思って少し調べたらこんなのが出てきました。

 大見・尾越の領地は鎌倉後期から室町期は足利(将軍)家の所領となっていた。このことは
「葛川絵図」(1317)からも伺える。応永年中(15世紀初頭)には醍醐寺三宝院に寄進され江戸
期に至った。江戸期は、山城国愛宕郡大見村は、久多村と共に旗本朽木氏の知行地だった。尾越
村は「享保村名帳」に大見村のうち尾越村分として村高33石とあり、大見村の一部だった。明治
22年愛宕郡大原村大見、同尾越、昭和24年左京区大原大見町、同尾越町となる。昭和50年大見の
世帯数4・人口6、尾越の世帯数3・人口6。木炭需要の減少に伴って人口が減少、廃村となる。

http://www.acdfo-kyoto.jp/data/2001/fk0003.html

そのほかいろいろ書いてありますが、この道は鯖街道の1つだったようで、なるほどと思いました。
廃村という記述もありますが人が住んでいる様子だったので、夏場だけ住んでいるのかも知れません。

尾越を抜けて林道久多尾越線に入るとゲートが出てきます。
ここからダートになるのかな?と思ったらまた舗装になりしばらく続きます。最近舗装された様子でした。

舗装はかなり奥まで続いていて、結局久多に抜ける林道と八丁平方面への分岐まで舗装されていました。
ということでロードのトレーニングでこの辺まで走りに来ることも可能です。人も来ないので面白いかもしれません。

八丁平へ向けてダートの林道を走ります。
だんだん視界が開けてきて非常に気持ち良い道。

八丁平の直前で林道が終わり、登山道に。ほとんど平坦なので乗りながら楽しく走れます。
直前まで林道が続いているあたり、かつての八丁平林道の攻防のあとを見るようでなんか複雑な気分です。

八丁平の湿原の周りはぐるっと一周できる登山道があり、これを一周しました。
前回登山できた時も感じましたが、「こんな場所が北山にあったなんて」と思うような幻想的な風景が広がります。
途中パラパラと雪が舞ってくる天気でしたが、それでも楽しめました。

湿原の中の木道セクション。恐る恐る乗っていると・・・

木道の上でつるっと滑って足を湿原にずぼっ。
左足がくるぶしの上まで泥に浸かってしまいました。とほほ・・・

同じ道を戻るのも脳が無いので帰りは一つ峠を越えて林道に戻ってみました。

八丁平を回り終え、帰りは山村都市交流の森方面から帰る事にします。
こちらは100%ダートの林道。結構傾斜のきつい箇所もありますが、なかなかの景色。
標高は900m近くあり、北山では恐らく最も標高が高い林道の1つじゃないかと思います。
交流の森に下りた後は裏花背を上ってゴール。
ここまで随分走ったので裏花背が思いのほかしんどかったです。
帰りは車で市内に向かったのですが、花見渋滞で賀茂街道が激込していて、これなら自転車の方が早かったなと後悔しました。

ということで八丁平に初めて自転車で行ってみましたが、高層湿原とその周辺の高度感のある世界は浮世離れしていて良いコースでした。

林道久多尾越線はそのまま北に抜ければ久多に出られますし、さらに久多から北に根来坂峠を越えて、林道版の鯖街道走破、というの面白いかもしれません。また挑戦してみようかな。


より大きな地図で 1004038八丁平 を表示